私は一介の医療人なので、言語学を学んだ訳ではありません.
以下のことはすべて私の独断と偏見によるものです.

私は、太田市の強戸(ごうど)という農村地区で生まれ育ちました.ここはすごく群馬弁が残っていた(る)地域で、幼い私には群馬弁ががっちりしみついていました.(葬式や節句なども、いまだに昔ながらの風習が残っている田舎です.)
大学、研修医、大学院修了までの12年間は前橋市に住んでいました.群馬大学附属病院にいた時代、外来や病棟で患者さんの発する一部知らない単語に遭遇し、困惑したこともありました.1996年から東毛地区某所に住んでいます.ふるさとの太田市強戸地区にも車でわずか10数分ほど離れているだけですが、そんな近くでも微妙に、いくつかの言葉は違うようです.

わずか数km離れているだけの県内でも、これまでの経験から、特に単語や助詞、助動詞に大きな違いがあることがわかりました.たとえば前橋に住んでいたとき、「おこんじょ」という単語を知ったのですが、これらは群馬県東地区(東毛地域と呼ばれています.)ではあまり使われていません.逆に「がしょーき」、「まんから」、「でんぼ」、「ちんかん」、「じゃんぼん」は前橋では使われていないことは、「東毛人」の私にはいささかショックでした.
助動詞の多くも、東毛地区と、前橋市を中心とした中毛地区とは大きな違いがあります.

これまで、私は「鉄道が、方言分布に大きく影響する」という仮説を持っていたのですが、このページを作って、方言を収集してみると鉄道の分布だけでは説明できない表現が多いことがわかりました.例を挙げてみると

  • 「めっぱ」、「めかいご」、「めかご」の分布
  • 「おんまける」の分布
    :利根川以西で主に使われている動詞、前橋や平野部では「うんまける」.鉄道分布だけでは前橋と同じでもよさそうなものだが・・・
  • 桐生の「だがん」と太田の「だにぃ」の分布
    東武桐生線で結ばれているのに、どうして違う助動詞を使うのか?
  • 元足尾線(現わたらせ渓谷鉄道)で結ばれている栃木県上都賀郡足尾町と桐生のアクセントの違い:足尾町では「虫のクモ」も「雲」も、「箸」も「橋」も同じ平板アクセントだそうだが、桐生ではこれらはアクセントの違いが明瞭.
  • 沼田・吾妻など北毛でしか使われていない「のめし」という名詞
    上越線や吾妻線で結ばれていても、子持山以南には分布していない.    などなど

よく考えてみると、鉄道ができたのはわずか100年くらい前からで、その土地土地の言語形成にはそれ以上の長い期間が必要なはずです.むしろこの100年間は、鉄道のみならず、自動車や飛行機などの進歩で、「文化」の融合(外国文化も含めて)が、今まで人類が獲得したことがないスピードで進んでいるのでしょう.

となると、19世紀までの人々の動態も考え、あわせ群馬県の特色ある方言分布を考えてみると、鉄道分布よりは「河川による分布」のほうがよりふさわしいと思えるようになりました.

群馬県の「大都市」は、(太田市など例幣使街道沿いに発達した町を除いては)すべて川沿いにあるのです.生活に欠かすことのできない、田畑を潤す水のある場所にムラが形成されていくことは当然ともいえます.

左図の私の考えた文化圏マップをご覧下さい.

利根川という(19世紀レベルで考えれば)大河川で、前橋と高崎、前橋と渋川は分断され言語文化が違うこと、渡良瀬川以北(桐生)、以南(太田・邑楽)で言語文化のみならず食文化も大きく変わっていること、桐生川という小河川だけで、ほぼ地続きの足利と桐生が言語文化圏が似ていることも、なんとなくうなずけるのではないでしょうか?もちろん、その間に急峻な山々があったら、当時の人の往来は盛んでないわけですから、長野県と松井田町がたとえ後に信越線で結ばれたとしても、それまで培われた「言語の土壌」は違うのでしょうから、たとえば長野には「めっぱ」は伝わらなかったし、長野から「めかご」は伝わらなかったのだと思われます.
もちろん、現代の方言の分布には鉄道・道路が少なからず影響を与えているはずです.群馬県の主な国道も鉄道も河川沿いに作られたのでしょうから、河川中心に考えた方がわかりやすいのかもしれませんね.そういった意味では、河川に沿って作られなかった国道50号や両毛線、上毛電鉄などは建設当時としては、「画期的」幹線だったのかもしれません.

利根川沿い文化圏

このホームページを開設して、言葉の分布など、いろいろ調べていくと、この文化圏は更に支流ごと分かれるようです.以下、記すと

  • 吾妻文化圏(吾妻線;吾妻川沿い);図の橙:命名するなら「あちゃ」文化圏
    独自の言語文化圏があり、名詞や助動詞も独自の発展を遂げています.吾妻で使用頻度の高い「あちゃ」「がら」などは平野部では全く使われていません.カエルの名前が地域によっても違うというのもユニークです.吾妻東部と、吾妻西部では全然違うそうです!?
  • 利根文化圏(沼田・利根上越線沿い;片品川・利根川上流);図のローズピンク
    ;命名するなら「おやき」文化圏;子持山より南部では「おやき」という食べ物があまり分布していませんよね.またなぜか「〜だっぺ」という栃木・茨城で使われている助動詞が、この地域にだけ分布しています.なぜだっぺ?
    この文化圏も、もっと詳しく調べれば、片品川流域と、利根上流流域では文化圏が違うのではないかと思っていますが・・・片品の人がしゃべるテレビ番組は字幕が出ていました.(笑)私もぜんぜん理解できませんでした.
    そもそも吾妻、利根地区は、昔、 真田(昌幸)氏が一括して治めていた領土で、国道353号(日本ロマンチック街道)が沼田〜中之条〜長野原とつながっているという辺りにもなごりがあります.国道を走っていると、真田の旗(六文銭)が目に付きますよね.「おやき」も長野が本場?だから、長野の真田一族によってこの地域に浸透したのかな?
    あるいは、「みそまんじゅう」文化圏でもよいかも?(上州名物「やきまんじゅう」をこの地区では「みそまんじゅう」と呼ぶことが多い.)
  • 前橋(旧勢多西部含む)文化圏(両毛線・上毛電鉄沿い);図の薄橙
    ;命名するなら「おこんじょ」文化圏;前橋地区特有の言葉も結構ありますよね.一応、渋川もこの地域に分類してみましたが、動詞「おんまける」や「めっぱ」の分布など、渋川地区も独立文化圏の可能性もあります.
  • 前橋南部(駒形)・伊勢崎・佐波文化圏(広瀬川沿い);図のクリーム
    ;前橋と若干助動詞の活用が違うような・・・加勢の助詞「りぃ」も使いますし・・・・「めかいご」も伊勢崎南部では「めかいこ」と濁りませんしね.命名するならもんじゃの「アマ」文化圏かな?(笑)
  • 多野・藤岡文化圏(神流川沿い);図の黄緑
    情報は乏しいのですが、高崎の近くなのに、「めかご」圏だし・・・ 「みゃあ」「にゃあ」などの、独特の助動詞が使われてるようです. ぜひ更なる情報求む!

烏川・碓氷川・鏑川沿い文化圏

  • 高崎・西毛文化圏(高崎・渋川および西毛地区;高崎線、信越線、上信電鉄沿い、上記河川流域);図の黄色
    ;命名するなら「めっぱ」文化圏
    こう考えることで、「めっぱ」の分布が説明できるのではないでしょうか・・・
    安中と富岡の境の山々は、300mに満たないので昔の人でも比較的楽に越えることができて交流があったのでしょう.甘楽や碓氷の山間部は調べてみるともっと興味深いかも・・・
    箕輪城の治めていた範囲なのか?

渡良瀬川以南、利根川以北(東武鉄道沿い)文化圏

  • 太田・新田文化圏;図のブルー
    太田地区は名詞・助詞・助動詞の使い方に独自の発展(命名するなら「だにぃ」文化圏)があります.一部を除くとテレビも直接VHF波で、東京タワーからの電波を受けることができます.十分首都圏ですね??私の子供の頃は、東京に行くことよりも、前橋・高崎に行くことのほうが冒険でした.太田や館林では、桐生・前橋で有名な「ソースカツ丼」もあまり見かけないようです.食文化も違うのかもしれませんね.群馬県の大都市で唯一JR(旧国鉄)が通っていないのに発展していた工業都市であるため、独自の文化圏を形成したのでしょう.
    しかし太田市に昭和30年代初頭に併合された太田市強戸地区(旧新田郡強戸村)などは、未だに古き新田郡の慣習を色濃く残しています.たとえば強戸と新田郡薮塚地区は、男児の初節句を、生まれた年ではなく、一度正月を経てから行うのですよ!きっと乳児死亡率が昔は相当高かったのでしょうねぇ.葬式もすごいですよ.あとでこの葬式の風習だけでも別ページを作りたいくらい!嫡男優遇思想が随所に感じられます.子供のころは、それが普通なんだと思っていましたが、他の地域と比較してみると、かなりエキセントリックだったのですねぇ・・・
  • 館林・邑楽東部文化圏(東武佐野線沿い);図の薄紫
    東武佐野線も合流するためか、やや栃木なまりも入っていると思います.もちろん、目と鼻の先は、栃木県、茨城県であり、行政区分上では群馬県ですが、文化的には、これらの県の影響が多分にあるものと思われます.まさに「群馬のヘレニズム」.私の知り合いの館林の病院に赴任した先生も、「患者さんが(群馬弁と違って)、抑揚なく、だらだらと話すので、慣れるまでとても聞きづらかった」とのことです.後述の足利が桐生の文化圏に近いのと比較して、逆に栃木・茨城県に近い文化圏ともいえます.(命名するなら「あんまこ」文化圏」)
    しかし侮るなかれ、館林まで東武伊勢崎線は複線です.駅での電車の「交換」もない立派な首都圏であります!

渡良瀬川文化圏

  • 桐生文化圏(渡良瀬川以北、桐生側沿い、JRも東武もある地域);図の青紫

    桐生、みどり、県内ではありませんが足利など.
    私は足利市も、栃木弁と言うよりは太田や桐生に言葉が近いように思います.「〜だがね」の分布はその最たるものです.特に小俣町や葉鹿町などの桐生市に近い旧足利郡地域は群馬に似ています.きっと織物関係で昔から桐生との関わりが深かったためでしょう.でも東に行くにつれ、語感の抑揚が消失してきて、しり上がりになり、佐野に行くと、ほぼ完璧に「つぶやきシロー」的イントネーションに変わることに気づきます.両毛線に高崎から小山まで乗って、耳を澄ませて聞いてみてください.

    とりわけ桐生地区は、他の地域と比較しても独自の文化圏を感じます.桐生は文末が「〜だが」「〜がね」という独特の表現や、その地域特有の名詞や動詞がたくさんあり、「ソースカツ丼」(左)などの独自の食文化もあります.3方を山に囲まれていること、市全体の高齢化が進んでいるのも原因の一つかもしれません.;命名するなら「だが文化圏
     桐生の人たちは、非常に愛郷心が強いためか、企業や大学等ですぐに「桐生会」などを組織するといった同族意識が強いようなので、そういったことも影響しているのかもしれません・・・テレビも、前橋・高崎の人が見ているのUHF局(送信所は榛名山)とチャンネルが違うのです!桐生では桐生の茶臼山から違う周波数で送信されています.私はそれに気づかず、前橋から笠懸に引っ越したときに、画面が写らずテレビが壊れたかと思いました.このことは桐生ではあまり知られていなくて、桐生の人は、東京と同じチャンネル(VHF)を見ていると疑っていないようです.
    また桐生地区の独自の日刊のローカル新聞もあって、多くの家で読まれています.桐生広域圏の些細な記事も大きく取り上げられたり、どこそこの家で赤ん坊が生まれた、だれそれが死んだなどが即日市民の知るところとなったりするのは、アットホームなのか、プライバシーのない怖い地域なのか・・・こういう日刊紙、他の地区にはあまりないですよね??昔、群馬大学の大学院生だった時代に、桐生某所で医学的な講演をしたのですが、私のような者がやった、あんな些細なことでも記事がなかったのか、後日「4段ぶち抜き写真付き」で掲載されてしまい、桐生に住んでいる伯母が大いに驚いて私に電話をかけてきたことがありました.「あんた、偉くなったがねぇー」って.本人はそんなことになっていたとも知らず汗顔の至りだったのですが・・・良いことはともかく、悪いことはできないですよね.きっと一日で「うしろゆび」指されてしまいそうで・・・

そもそも群馬東毛地区(邑楽・新田・山田の3郡)は、明治時代の廃藩置県直後には、「橡木(栃木)県(現在の栃木県南部)」に属していて、最初から群馬県ではなかったのです.(後に群馬県に編入される.)そういった意味からも、前橋、高崎をはじめとした中毛地区とは、もともと文化圏が違うのだと思われます.群馬東毛地区は栃木南西部(足利・佐野)と一緒に、両毛地区と呼ばれています.
熊谷などの埼玉北部も、最近は立派な「首都圏」ですが、昔の人は非常に群馬に近い言葉を使っていたそうです.

その他;小河川・沢沿いで、鉄道・公共交通機関がない(あるいは乏しい)地域??

おそらく、もっとも独自の方言が発達している地域.村内・町内でしか通用しない言葉もあるかもしれません.言語学者には「たまらない」地域ですが、こういう地域の患者さんと接するのは、ちょっと大変かな?逆に情報がぜひ知りたいですね.

西毛・北毛地区の情報入手は、私にはなかなか困難です.
もしこのホームページに未掲載の群馬弁情報をお持ちの方は
ぜひまでお寄せ下さい.
あるいは「どーなん?そーなん?」(掲示板)にぜひ情報を!

このページは私の独断と偏見に基づいた考察です.いかがでしたか?

あとで論文にでもしてみようかな?