- Chapter 1 - The First Encounter!

「衛星」との邂逅

▲JAS-1打ち上げ記念局8J6JASのQSL.もちろん6mでのもの

 AO-13衛星や国産衛星「ふじ(FO-12)」の登場で、サテライトQSOが大きく脚光を浴びた時期がありました.私も科学的にもたいへん興味があったのですが、その頃は6mにクレージーなほど燃えていて、サテライトに裂ける「気力」も、貧乏学生だった私にはサテライトの設備を捻出する「金力」もありませんでした.月刊ファイブナイン誌のサテライトDXのコーナーでもたくさんのDX局とのQSOが紹介されていましたが、挑戦の種火はくすぶったままでした.



 1994年秋頃、大学院で医療画像データベース構築の相談に工学部の某教授のもとを訪れました.(当時は医療画像のコンピュータ管理の研究をしていました.医師の研究とは思えませんが、こういう研究が大好きなのです.)ふとしたことで、アマチュア無線の話となり、その教授から、通信衛星の研究をされている、O教授とS助教授を紹介されました.彼らと話をしていくうちに、いつの間にか工学部と「通信衛星を使った遠隔医療の研究」をすることになりました.静止衛星は36000kmの赤道上空に、地球の自転の速さと同じ速度で周回しているので、地上からみるとあたかも静止しているように見える衛星です.(アマチュア衛星ではPhase4とされている.)工学部の助教授は、「アマチュア無線に狂っている先生だから、通信衛星の資格も取ってもらおうかな!」というホメ殺しにあった私は、まんまと資格を取りに行くハメになったのです.しかし通信衛星を使えるという魅力には変えがたく、資格に挑戦することにしました.

一陸特!?

 当初すでに第1級陸上特殊無線技士(以下一陸特)を持っていた助教授から、第2級陸上特殊無線技士を取れば問題ないだろうと聞いていたので、問題集(「特殊無線技士受験マニュアル」(電波新聞社刊)が最寄の書店で売っていたので手に入れてやってみました.4アマの試験より簡単です.94年の初冬に晴海に受験に行きましたが、さすがに一発で合格できました.年も暮れかけた頃、意気軒昂に助教授に従事者免許をみせると、「君は医学部側で地球局を運用するのだから、やはり責任上一陸特を取ってくれ!」と言われました.まぁしょうがないか、と思ったものの、二陸特が簡単だったので、きっと一陸特もたいした事ないだろうと、助教授から薦められた問題集(「無線従事者国試予想問題解答集・第一級陸上特殊無線技士」(電気通信振興会))を解いてみてびっくり!世の中に、これほど1級の2級の差がある資格が存在するのか!?と思うほど難しい!出題は工学24問(16問以上合格らしい)、法規12問(8問以上合格らしい)でした.法規はアマチュア無線の知識でなんとかなりそうでしたが、工学は問題集を一見しただけでは、1アマどころではありません.こちらの方がはるかに難しい!計算問題もきちんと計算しないと、答えが導き出せないようになっています.二陸特とは雲泥の差でした.その上、旧多重無線技士であった通り、多重や中継の問題は多く、パラボラアンテナの利得算出や回線設計まで出題されています.これを2月上旬の試験まで覚えるのは、至難のワザ.しかし立場上、研究上、この資格は絶対に取らなければならない!と開き直った私は、多忙の医師業務の間、勉学に励みました.問題集を睡眠時間を削ったり、昼休みの空時間に何度もやり直しました.しかし私は工学部系数学(複素数など)などをやっていなかったので、独学を余儀なくされ、かなりの苦労でした.ある意味医師国家試験受験の際よりも、マジメに取り組んだと思います.(笑)

 95年2月の試験はまた晴海でしたが、一陸特は100名くらいの受験者がいたでしょうか?女性も数名いました.後ろの方の席に座って、「こんな試験を医者で受けるのは、きっとオレくらいだろうな」と思いながらぼんやりとながめていました.結果は工学の勉強は、がんばったせいか、24問中、新傾向の新作問題2問は歯が立ちませんでしたが、20問はできた感触を得ました.ところが!法規がアマチュア無線の知識もあるからなんとかなるだろう!と甘く見て、あまり勉強していなかったため、危うく落ちそうになりました.自己採点してみると8問ギリギリです.なんとか合格しそうな感触を得た私は、1回の挑戦で済んだことに、ご満悦でした.実際合格通知をもらったときには、天に向けてガッツポーズでした.合格したという喜びはさておき、「これで無線工学の勉強から解放された」という喜びが大きかったと思います.
二陸特には診断書の提出義務はありませんでしたが、一陸特は医師の診断書を求められました.(私が電話級アマチュア無線技士になったころは、「医師の診断書」の提出が義務づけられていました.その頃は診断書を書いてもらうのも一大事でした)、あたりまえですが、すでに自分の周りは医師だらけでしたので、こればかりは役得でした.(笑)(その後、工学部で一陸特に合格した人たちの診断書も、たくさん書かされましたっけ.)

(しかしこの資格、持っていてもアマチュア無線には何の役にもたちません.法規はだめでしょうが、無線工学は1アマでも免除してよいと思うのですが・・・・) 


▲大学の研究室の屋上に
設置した JCSAT1号(Ku帯)用のパラボラアンテナ
直径1.8m
 通信衛星はJCSAT1号(Ku帯)を使わせていただきました.JSATさんのご厚意で大学の研究のために無償(当時)でお貸し下さっていたのです.なんと度量の大きな会社なのでしょう.通信衛星の世界では、地上の無線局を地球局、衛星を宇宙局と呼んでいます.いったん回線を設定してしまえば、ドプラ効果にも悩むことなく、衛星との距離で生じる0.5秒程度の言葉の遅延がなければ衛星通信と感じないほどです.(だから2点間でカラオケデュエットというのが結構高度の技術なんだそうですが(笑))その上、回線設計も業者まかせで、(偏波面はスパナで変えたことはあるけど)、いったん回線ができてしまったので、私はただの送受を切りかえる「スイッチマン」でした.パラボラと制御するCODECの間が数十メートルのあるのに、Ku帯なのに!5D-FBだったりして、アマチュアの感覚?からするとびっくりでした.当時の私ですら1200MHzには、10D-FBを使っていたのですからね!しかしほんの数mWと1.8m径のパラボラアンテナは、がっちり2点間を結ぶことができました.また予期せぬ阪神淡路大震災で衛星の耐災害性が大きくクローズアップされ、私の予想以上に衛星がもてはやされました.こうして主に超音波画像の遠隔診断の研究を行い、96年春、無事博士の学位をいただくこともできました.97年には工学部側の新規地球局の構成員にも加えていただき、郵政省のお役人様を迎えた落成検査も経験しました.このようなことが評価されたのか、2000年度には、宇宙開発事業団の衛星利用推進委員会の設立準備委員(当時)に選ばれました.



あの時、工学部に出かけなかったら
私の人生は大きく変わっていたでしょう.


 巷では、静止衛星に燃えていた頃、AO-13が大気圏に再突入して、壮絶な最後を遂げていました.衛星使用者として、少なからず感傷を覚えましたが、まだアマチュア衛星への挑戦は湧いてきませんでした.結婚して、2ndにも恵まれ、仕事は多忙で、おまけに私が愛する6mは太陽活動の上昇により、まさにサイクル23を迎えようとしていたのです.



第2章 飛翔 へ