(SJJG会報第25号(1994)掲載;一部改変)


第1章 WACAの代償

 1988年 9月11日6mWACAは花巻市とのQSOで完成した.なんともいえない脱力感が私を襲っていた.「もう国内はあくせくやらなくてもいいやJCGはまだ488.WAGAなんてライフワーク.安心して勉強しよう.」 私は当時、医学部5年生(医学部は6年制)であった.5年生の後半からは患者さんを相手にした臨床実習が始まる.「切りのいいところでWACAが終わった.もしこのままいけば勉強どころではなかっただろう.」 すっかり気の抜けた私はJS1USYの岩手珍郡移動や、JJ3INK,JG3IFXの滋賀珍郡移動を逃してしまった.
 しばらくして私は勉強の合間に週末に細々と6mをワッチしはじめた。折しもサイクル22はその上昇期にあり、私も6mDXerのはしくれとしてパイルに参加し、52MHz帯でBrokenEnglishでVKとラグチューするのを楽しみとしていた。 「WACAっちゃいるけどやめられない!!」6mはそういうバンドなのだ・・!!  しかし多くの6mマンがDXerと転身をはかったようで、国内QSOは主流をはずれたような感があった。 

WACA完成の後期から私は原因不明の腰痛に襲われていた。実習で手術見学になったりすると耐え難い痛みが腰を襲い、立っているのもままならない。「迎撃移動のツケがまわってきたのだろうか?」  鎮痛剤を服用し実習に参加していたが、ついに1989年6月実習中に激痛のため失神。「腰椎椎間板ヘルニア」と診断され、コルセットを巻きながら実習を続け、夏休みになるのを待って約1月の入院となった。山登りは禁止された。「もう山登りで迎撃もできないなぁ。」私はベットの上でぼんやり考えた。 JCGは508に増えてはいたが、あと残りは50と気の遠いゴールであった。

 7月末日に退院。8月上旬見舞いのお礼にJO1HQQの下宿に行くと、まさに彼は残り1郡となっていて、最後の三重南牟婁郡と交信すべくワッチしていた。彼は私の前で6mWAGAを完成した。くしくも彼の6mWACA/WAGA両方の完成の瞬間を眼前で見届けることができた。彼はJAで4人目の6mWAGA完成者となった。 

私にも漠然とWAGAへの挑戦の気が生まれてきた。「WACAは49番目だった。WAGAはがんばれば20番以内になれるのではないか?」 こうなってしまうと急にやる気をだしてしまう性格である。私は翌年医師国家試験を控えているにもかかわらず、毎週6mDX&JCGハントという、まったくCrazyな行動に走ってしまった。運良く、1月間にもわたる卒業試験を低空飛行で通過し、翌年の国家試験も奇跡的に合格した。
          


 第2章 変遷する時代  

80年代後半はサイクル22の上昇期であり時代はDXへと変わっていた。また国内を見てもWACA完成者が年間10人前後完成してくる時代になった。しかしWAGAはまだ至難の部類に入っていた。私も時代の波に乗り、DXのパイルに参加した。WAGAを狙っているとはいえ、国内はまたいつでもQSOできるではないかという考えが少なからず頭を支配したのは否定できない。どうしてもワッチは110付近となってしまう。 80年代後半からJCGサービスにも傾向の変化が認められた。今まではJCGはとかく「JAマイナスJCC」の図式ような扱いであったが、WACA完成者が大量にでた為かJCG重視の移動が多々計画・実行された。例を挙げればJJ3INK,JG3IFXを中心とした関西井戸吉グループおよびJP1END/JO1HQQ/JM1NPFらの北陸・東北移動等である。とくに後者は今まで聞いたこともない福井県の珍JCGを山岳移動で1エリア向けにサービスするといった特筆すべきサービスであった。多くの人が珍郡を得ることができたであろう。JCGの価値が上昇してきた証拠であった。
 またコンディションの上昇でScが頻繁に発生し、これを狙った移動も盛んになった。固定からQSOできることもあり、腰を痛めた私には幸いであった。 

WAGAを狙うにはもうひとつ肝に銘じなければならないことがある。それは、 「全郡交信完了時に、現存する町村とのQSO」 が義務付けられている事だ。(当時;現在はこの項目は削除されている.) 私は意識した時点で今までのQSLをチェックした。いくつかの郡は町村の記載がなくQSOをやり直すはめになった。また市町村合併にも注意を払わなくてはならない。宮城町の仙台市への合併で「WAGAに有効な宮城郡」を失った。すぐに利府町とQSOできて事なきを得たが、近年の岩手県の町村合併の話題にはかなりの関心を払った。紫波郡、和賀郡は被害がなかったが、群馬からは交信困難な地帯でもあり、状況次第ではWAGAに大きな影響を及ぼしたであろう。この逆もあり、WAGAを狙っている間にも、名取・君津・飽託郡が消滅した。名取はまったくQSOしていなかったのである意味ではラッキーだった。新聞の2面には町村合併の記事が多いので目を通した。 さらにJCGは「1郡1町(村)」が多い。人口が少ない上に、山間部が多くこのことがJCGをより一層困難にしている。北海道はこのパターンが多く、本州では足羽・赤穂・美嚢郡がこの部類に入るであろう。 美嚢郡にいったいいくつの固定局がいるか局名録で調べてみるとよい。

 困難なほうがやり遂げる価値はあり、達成したときの喜びも大きい。WACAからWAGAの図式は極めて自然な傾向であるだろう。
      


 第3章 鬼門征服

 
卒業旅行はJD1へ、そして6mWACも完成した。WAGAはDXの副業になった感もあったが、それでも少しづつJCGは増えていった。しかし医師として大学病院に勤務すると多忙を極め、睡眠時間も少なくなり、無線にさける時間も少なくなった。幸いにも腰は小康状態で、山に行く自信はなかったが、無理をしなければ仕事はできるようになった。こうなると地道なワッチとパケットによる情報収集が頼りである。パケットは時間を越えて情報の収集が可能であるのが大きな利点である。(注;当時はインターネットなどというものは存在していなかった.)

 91年6月INK,IFXを中心に滋賀県全郡移動が企画された。しかし、あにはからんや当直があたってしまった。滋賀はまだ4郡残っており、これを逃すとWAGAは遠のくと感じた私は、夜3時間だけ他の先生に代わってもらい無事QSOできた。私の無線狂いは皆の知れる所だったのでなんとか協力してもらえた。

8月17日 ついに北海道を積丹郡で全郡制覇した。JCGの約1割を占める60郡余、しかも人口の少ない1郡1町/村のJCGとの交信が求められるだけに、8エリアの攻略は成否のポイントである。8エリアは難功不落と感じていただけに、1、0、9エリアについで交信完了になったのは予想外で、また安堵感も大きかった。

 9月1日、JF4BMF/4勝田郡で鬼門岡山が完了した。赤城山で迎撃する予定だったが台風の影響で道路は寸断され迎撃断念。しかし平地からではまったく聞こえず、なかば断念して翌日JH1ECUと群馬県内のサービスに出かけてしまった。佐波郡の畑の真ん中で無線機をONにすると、昨日ワッチしていた周波数が表示された途端、BMF/4が飛び込んできた!!時間にしてわずか10秒のMSのバーストであった。

 はやり群馬からのWAGAの鍵を握るのは、岩手・秋田・兵庫・岡山である。島根も珍郡が多いが1986年の島根対全日本コンテストでEsが長時間OPENしたため多くはQSOできていた。幸いにも兵庫・岡山はJI3GDB,JN3ONX,JF4BMF,JF4XGDらがアクティブで、WACAを目指していたころとは違ってだいぶ楽になった。 秋、コンディションは上昇しヨーロッパのショートパスにも遭遇できた。国内Scも好調でJCGは1つづつ着実に減っていった。そうして残り10郡。夢のまた夢の、つい3年前は「ライフワーク」であったはずの、「6mWAGA」のゴールが見えて来た。 
     


第4章 栄光への挑戦

 年が明けて1992年、以下の10郡が残っていた。皆様の感想はいかがであろう?
岩手:二戸 秋田:雄勝 宮城:志田・登米・桃生 
兵庫:揖保 島根:美濃 鳥取:東伯 愛媛:宇摩 福岡:三潴

 宮城の3郡は1987年の宮城全郡移動を山形移動の最中で逃したためで、このツケがずっと尾を引いていた。しかし運よく3郡とも2月から3月のひと月の間に固定局とすべてScにてQSOできた。これで一気に拍車がかかった。 3月20日にはWAGAを完成したJE6KDDの運用するJF6YFW/6三潴郡とQSO成功。Scしかないと念じてワッチを続けていた。願いが天に通じたのか、Scが開いた。やっと6エリアが完了した。

 4月から大学院に進学し、ますます忙しくなってしまった。4月11日には移動の連絡をもらったJI3GDB/3揖保郡とQSO成功。勤務の都合で迎撃に行けず固定から狙ったが、GWで前橋には弱く入感しているとJH1ECUは教えてくれたが、まったく太田では聞こえない。あきらめて迎撃にいくかと考えた矢先に、南のよわーいScが発生するという好運に恵まれた。これで残りは5郡。

 4月26日には何気なく6mを西ビームでワッチしていると、沼田市の固定局がどこかとQSOしているのを耳にした。「ミノ郡ですね」と言ったのでびっくり仰天!!急いで南にビームを振ると弱いながらもScでJG4ISS/4美濃郡が入感していた。島根は最近アクティビティが落ちていて、美濃郡との交信はWAGA完成の鬼門と思っていただけにうれしい誤算であった。

 雄勝郡に関しては何の情報もなかった。JARL NEWSを何気なく目を通していると秋田県QSOパーティーの結果が載っていた。6m1位のJH7XGNのQTHを局名録で見てみると、なんと雄勝郡ではないか!!さらに秋田県のコンテスト委員長も務めるアクティブ局であるとわかり、手紙を書いてみた。するとスケジュールOKの返事をもらい、南の弱いScがでていた5月30日に交信に成功した。JARL NEWSもたまには使えることがあるものだ。

 残りは3郡。二戸・東伯・宇摩。東伯は7月11日にJA5RWYが、宇摩は7月25日にJA5RCTが移動して下さるという連絡が入る。さらにJP1ENDの仲介でJH7XRZが7月26日のCQ誌主催のPeditionDayにあわせ二戸郡七時雨山に移動して下さるという連絡も入る。前者2郡は移動に定評ある局の移動、二戸もJO1HQQがかつて七時雨山のJH7XRZ/7とQSOしているので、7月26日にはにWAGAは完成するであろう!!そんな確信が私には生まれていた。JH1ECUに事情を説明しサポートをお願いした。

 7月11日、迎撃移動するかどうか?鳥取という場所はGWでは遠すぎ、Esでは近すぎる。たとえ2000mの迎撃山をもってしてもQSOできないかもしれない。山の上ではFAI(電離層irregurality)に遭遇できる確率は低くなる。いちかばちか固定からFAI狙いを敢行した。結果は4時間ワッチの上、聞こえたのはわずか1分。しかし1分もあれば交信して感動する時間にも十分だった。初めて聞こえて来たとき20km離れたECUのシャックでは入感がなかったという。6mはまさにMagicBand!!である!!

 7月25日、 宇摩郡も上記の理由から固定から狙った。東伯のこともありQSOはできるだろうとタカをくくっていた。しかし3時間たっても聞こえない。FAIもEsも発生しなかった。「だめか?」と思った矢先、ECUから430で「聞こえる!」との連絡。まったく固定では入感がない.....根性を入れて聞くことしばし、あの岡山勝田郡の時のようにバーストで一瞬浮かび上がってきた。交信成立。粘り勝ちだ。

 これで残りは 二戸郡 のみ!!

 くしくもWACAの時と同じ岩手県を残した。最後は迎撃を敢行しよう。移動でデビューした私の最後はやはりこれで締めくくるべきだ。幾多の7エリアを迎撃した北群馬郡伊香保町。この思い出の地ほど最後の場所にふさわしい。          


第5章 最後のドラマ  

1992年7月26日、目覚まし時計のなる前にさめてしまう。久しぶりの緊張の朝だ。

迎撃ポイントにくると430MHz伝搬実験でアンテナが乱立していた。幸いにも6mのアンテナは見あたらない。丁重に挨拶し事情を説明すると6mに興味のある人はいないらしく、がんばれ!と激励されコーヒーをいただいてしまった。少し離れたところにF9FTを上げワッチすると7エリアの移動がFBに入感してくる。 

0715JST、岩手東磐井の固定局がいたので交信し「二戸郡と交信するために登ってきました」というと「そうですね今50.185ででていますね」との返事。あれれ?JH7XRZ/7は50.140にでてくるはずなのに......「XRZさんですか?」「いいえ JI1ETUさんです」驚いた!! ETU氏はゴールデンウィークに二戸郡に行き、もう今年は行かないといっていたはず......185にいくと1エリアの局につぶされながらも、確かにJI1ETU/7二戸郡が31-51で入っている......  

「今ここでQSOしてしまえば6mWAGAは完成する.......」



 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  脳裏を考えがよぎる。



しかしXRZ氏の立場は? ここでQSOしてしまうのは明らかに移動を頼んだXRZへの礼儀に反する。彼は今頃私の為に重い荷物をかつぎ上げているはずだ......WAGAの最後のQSOはXRZ/7であるべきだ。しかしもしXRZ氏がQRVできなかったら......etc.etc

........心の葛藤の結果、


私は「心を鬼にして」ETU/7二戸郡を「黙殺」した.



 0800JSTになる スケジュールの予定時間。しかしバズのみ...... 焦る。 JH1ECUがよんできて前橋ではMSで聞こえるのみとのこと。 

0805ころ埼玉の局がなにかとQSOした。どうやらXRZ/7らしい。しかしバズに埋もれて聞こえない.....七時雨山をもってしてもQSOできないのか??? XRZ/7の聞こえる福島の移動局に、バズを避けるため50135にQSYしてほしい旨QSPを頼む。

 135に移る。............聞こえる!!!!やったぁ!

 必死のコール! XRZ/7の信号が強く浮かび上がる!!  

 「JN1BPM/1 51どうぞ!!」  「OK!!QSL 51、51、51です!!ありがとう!!」


0814ついに宿願 6mWAGAは完成した!

 黒磯に移動していたローカルのJS1MLQにお祝いの言葉をもらう.
 帰りに伝幡実験グループに挨拶 彼らは拍手で私を称えてくれた

 「おめでとう! よかったね! きっと6mっておもしろいんだろうね。」 
「おもしろいですよ。あなたもやってみませんか?」       


第6章 WAGA(我が)世の春

 6mWAGAを完成してからの脱力感は、6mWACAを完成したときの比ではなかった。時がたつにつれ、より感じてくる。「もう国内で交信していない地域はないんだ。もうこれで
ゆっくり休める。」と。思い立ってからWACAは2年9ケ月,WAGAも6年8ケ月でできたためだろうか?

 サイクル22の好調期にあたり、最後の交信の多くのScでのものであった。腰を痛めた私には大きな勝因であった。これから6mは「冬の時代」に入る。その前に決着がついて幸運であった。 私の6mWAGAは宮城伊具郡・福島双葉郡・石川石川郡がCWのみ、長野南安曇郡がAMのみとSSB特記の申請ができなかったので、申請はRTTYを含みオールモードで行った。上記の郡をSSBで交信することが当面の目標である。CWのWACAも目標としたい。 WACA/WAGAを完成できた要因を考えてみる。一部は「WACAまでの軌跡」に書いた事と重複するが 

・良き師、良き友人をもつこと

  どんな世界でも、どんな時代にも通用する普遍の法則である。

・勉強すること 

 移動運用ひとつをとっても、山の基礎知識、天気図・地図の読み方、車のテクニック パケットの活用、もちろん6m伝搬の研究・アンテナの研究など、付随的に勉強せねばならないことが多々生じてくる。こういった知識の吸収は無線にとどまらず、今後の人生におおいに役にたつだろう。、アマチュア無線とはまさに自己訓練の場なのだ。 

・「時の運」 

 これは個人の力ではいかんともしがたいが、WACA/WAGAを通じ、これが大きな因子であると悟った。Hi  

・そして「健康が最大の財産」である。

  険しい山は人を寄せつけないし、単調な山道は登る者を飽きさせる。WACA/WAGAは、険しさを持ってはいるが、決して登山者を飽きさせることのない6m界の名峰である。私は幸いにも、この2つの頂上へ登りつめることができた。この山道での幾多のスリリングな体験、そして頂を制覇した際の、あのなんともいえない壮快な気分を、6mを愛する多くの老若男女が、一人でも多く味わえんことを祈念したい。
 最後にこれまで交信いただいた日本中の6mマン、JJ3INK若松氏,JG3IFX二宮氏をはじめとする関西井戸吉グループ、JM1NPF,JI3GDB,JF4BMF,JF4XGD,JH7XGNの各氏、快く移動して下さったJA5RWY長町氏,JA5RCT黒田氏,JH7XRZ高橋氏、福井・東北移動をはじめ、ご尽力下さったJP1END山城氏、ご指導下さったローカル諸氏、とりわけJS1KHR多田氏、JO1HQQ土井内氏,JH1ECU荒木師匠に心より感謝申し上げる。
ありがとうございました.

    JN1BPM SJJG#715 鈴木英樹




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