小学校が各町村に作られたのは明治以降で、もちろんその前より、我々の先祖は累々と郷土群馬で生活を営んでいました.明治以前の人たちは、郷土の山々に「山岳信仰」という形で、畏敬と感謝の念を捧げていたに違いありません.明治初期に、多くの小さな神社は合祀されてしまったものが多いそうですが、残った大きな社は、いわゆる「地区」別に「村の鎮守」として皆さんのまわりにも残っているはずです.明治以前の上州人(当時は群馬と言う政治単位はなかったので上州人と呼ぶことにしましょう)が、赤城山を御神体として崇めていた「赤城神社」の分布は、果たして我々の「小学校の「赤城山」が詠われているエリア」と一致するでしょうか? |
群馬県内に「赤城神社」はどのくらいあるのでしょう? 宮城村にある大きな赤城神社も、富士見の大鳥居も群馬県人ならご存知ですよね?赤城の大沼のほとりにもあります.そんな大きな神社ではなくても、そういえば実家(太田市強戸地区)の近くにも、今住んでいる笠懸町にも小さな赤城神社があったような・・・ |
まずはネットで調べてみました.すると下のようなサイトを発見しました. |
「赤城神社由緒略記」 そのサイトによると(「」内は同サイトより引用) |
「分社は赤城山南麓地は勿論関東平野の全般から、新潟、福島、宮城の諸県に及んでいる。現在のもののみで、群馬県に百十八社、埼玉県に二十三社、栃木県に九社、茨城県に十社、新潟県に十三社、福島県に十一社、その他を合わせて計百九十一社であり、合併又は廃社を併せると三百三十四社に達している。四季を通じて、各分社からの参拝も多い。 」 |
・・・・えーっ!そんなにあるの!?しかも新潟や宮城にまで・・・!そこから赤城山なんて見えないだろうに・・・??「山岳信仰の神社は、その御神体の山が見える地域にしか存在しないのでは?」と思っていたのですが、違うのですね.昔の人の活動範囲や自然現象は、私たちの考えているそれより、はるかにスゴかったのでしょう. |
早くも企画倒れの感(^^ゞがしてきましたが、県内および隣接地域だけでも分布域を調べてみようと思います. |
調べていくと、千葉の「流山(ながれやま)」の地名の由来が、「上州で洪水があって、赤城山の土(一説にはお札)が流れ着いた」からというらしいです.これはビックリですね.ならば群馬の赤城山系の市町村と姉妹都市になっているかも?と、流山市のホームページで見てみましたが、群馬県にはありませんでした(笑) |
宮城の赤城神社は「宮城県中田町」にあります.三束雨@藤岡氏が、2003年7月6日、藤岡よりはるばるこの赤城神社を訪れ、当講座に探訪記をお寄せくださいました.こちらをご覧下さい.宮城県の赤城神社と本県の関係やいかに? |
三束雨@藤岡氏 特別寄稿 |
県内最東端▼ | |
県内最西端▼ | |
県内最南端▼ | |
県内最北端▼ | |
好評であれば、「榛名神社」編、「妙義神社」編も・・・・
インターネット公開調査と同じ要領で、 皆さんの「「赤城神社」「榛名神社」「妙義神社」の分布」 を調べたいと思います. |
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2010年7月15日現在の県内および近郊エリア分布状況 県内「赤城神社」「榛名神社」「妙義神社」の分布 今後も年に一度程度更新します. 一度スパム書き込みで過去ログ飛ばされてしまったので再度ご登録ください |
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2010年7月15日現在の東日本エリア分布状況 県内「赤城神社」「榛名神社」「妙義神社」の分布 今後も年に一度程度更新します |
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【参考文献】 杉本智彦,『カシミール3D入門』,実業之日本社,2002
この件についての情報をお持ちの方、
上記の地図のプロットは面倒くさいが情報は持っているよ!という方は
ぜひメールください!待ってます!
このページは読者参加企画だぃね.情報よろしくたのまぃ!