開設5周年記念新企画

marron@つくば/境 & すずき@東毛 presents

想い出さぁねぇ、我がこころの

リクエストにおこたえして

■ 沼田市坊新田町から臨む赤城山 ■
 「“裾野は長し赤城山”ってゆーけどどこがながいんかねぇー。」 「横に長いつーことなんじゃなぃんかぃ。」子供の頃にこんな会話をした記憶があります。私の実家は沼田台地のはじっこ付近(笑)にあり、少し歩けば眼下に片品川、正面に赤城山がまるごと見えるところです。ここから見る赤城山は河岸段丘になっていて、正に「ここで山は終わりです。」という感じです。でも、このプッツリとした河岸段丘の切り口が季節によって近く見えたり、遠く見えたり、また、いろいろな色に変わるのです。私は紫色の赤城山が一番好きです。小学校の校歌の影響かもしれませんね。朝となく夜となく見ればいつでもそこにあった赤城山は、沼田を離れて約20年、今もしっかりと心にしみこんでいます。年に一度帰省して、実家のベランダからながめると、変わらない赤城山がそこにあり 「あぁ〜帰ってきたんだなぁ。」と小さな幸せ感じることができます。 ふるさとの赤城山は私の「こころの山」です。 【めぐ@大阪在住・沼田市出身】
■ 群馬町菅谷から臨む赤城山 ■
 俺んちの村は北側に桑畑・田んぼが広がってて見晴らしがよかったんだいね。 特に冬場は空っ風が吹いて空気が澄んでよけいよくめーる。 右手に赤城山、左手に榛名山が丁度バランスよく並んでるんさ。 ほーとに裾野が長ーく伸びた赤城山がめーるんだよ。 榛名山からもうちょっと左を見ると雪で真っ白な浅間山がこれまたかっこよく、 更に左にはノコギリの歯のような妙義山がやや遠くにめーる。 小学校の校歌にもあった通り1番「・・・赤城の山の雄雄しくと尊き父の学び舎よ」2番「仰げば榛名紫に朝な夕なにいだきよせ・・・やさしき母の学び舎よ」 父、母との対比もすばらしく情景が思い出されるいい校歌だったんにー。 こないだ女房の実家の近くを車で走ってた時「あたしはここから見る山がいちばん好きなんさ」なんつってたんで、群馬町まで連れてって「ここが俺のスペシャルスポット、こっからが一番だい」を納得させた。みんなにもみしてやりてー。 【福@浦安・群馬町 】
■ JR前橋駅ホームから臨む赤城山 ■
 赤城山で思い出すのは、父と母の赤城山の形への思い入れです。 父は前橋市平和町、母は伊勢崎市豊城町で生まれたため、 「伊勢崎の赤城はのっぺりしている」(父) 「前橋の赤城は左の山が大きすぎる」(母) と言っていたことがありました。 また、私自身は桐生に通学していたので、電車の中で、 「赤城山ってこんなかたちだったっけ?」と思ったものでした。中でも印象的なのは「冬景色」 赤城→からっ風→冬、と、記憶に染み付いているようです。 【たらこ@大阪・前橋】
■ 県境の神流川鉄橋の上から臨む赤城山 ■
 時間はいっぱいあったけど、お金のなかった学生時代、実家にかえるのは鈍行の高崎行き。 赤羽あたりから飛び乗っていくつかの駅をすぎるとボックス席は占領状態。あのころはいつでも眠かった。ぐっすりと寝いっちゃうんさね。「ガラガラゴーゴー ゴー」みたいな音で起こされるんさ。「もうちっと寝かせてくれよー」と思いながら起きるのは、埼玉と群馬の県境の神流川にかかる鉄橋。ねぼけまなこをこすりながら大きく体を伸ばして外の景色をみると、そこにはすそ野はながし赤城山。 「おー帰ってきたぞー」って感じにならいね。実家にいたときには位置が悪くて(見にくいんで)あんま意識しなかった赤城山だけど、こうやって一番に出迎えてくれるんで、高崎を離れてから好きになった山だいね。最近は忙しくなっちゃて普通電車にのらなくなっちゃったけど、こんだゆっくり時間とって普通電車に乗って帰って赤城山に出迎えてもらいたいやいね。 【かい@伊太利亜・高崎】
■ 昭和村赤城原から臨む赤城山 ■
 私の故郷は片品川と利根川の合流地点のやや上流に位置します。私がいつも眺めていた赤城山は裏側ですが、私にとっては、これこそが赤城山なのです。柔らかく、女性的な山と思って育ちました。しかし、前橋方面から見ると、やや男性的な印象を受けました。学生時代、東京から帰省する時に渋川辺りから見る赤城山は、裾野が長く、とてもきれいだなと思って、何度も往復するたびに眺めていました。 中学校の校歌の歌詞に出てくる武尊山は東の方に。子持山は西に。三峰山と武尊山のはるか向こうに谷川岳が見えていました。赤城山は畑のある赤城原に上らないと見えないのですが、沼田からは、とてもよく見えました。(赤城原からの眺めとは、少し違いがありましたが)夏休みに校有林の下草刈を全校生徒でしたことも、懐かしい思い出です。 赤城原の畑の片隅に、大きな赤城つつじが毎年きれいな花を咲かせていました。野いちごも沢山ありました。私は畑仕事の手伝いはほとんどしたことがありませんが、野原を精一杯駆け回って子供時代をすごしました。赤城山は私にとっては、母の懐のような懐かしい山です。懐かしい山や上州弁を、また訪ねてみたいと思います。 【のぞみ@福岡県・昭和村】
■上電の片貝〜上泉駅の間から臨む赤城山 ■
 つい最近まではうちの実家から赤城山がよ〜く見えたんだけど、うらんちが建て替えででっかくなっちゃってから見えなくなっちゃったんさね。でもその裏は田んぼが広がってて何にもないからちょっとでれば赤城山がまーずきれいに見えるんよー。しかもそれほど遠くないから大きくってね。 うちのお父さんが生きてたとき、朝よく犬の散歩に一緒に行くと天気のいい日は赤城山がまっさかきれいでねー。 たま〜に上電が田んぼん中通って、ほのぼのしてるんさね。 そう気軽に帰れなくなっちゃって見らんなくなっちゃったけど、あの景色は絶対に忘れないやぃねー。うちの近所から見える赤城山は富士山にも負けてないと思うんよー。 【群馬弁5級@パリ・前橋】

遠い日の想い出が心中に浮かんできましたでしょうか?

リクエスト募集!

あなたの故郷から、あるいは想い出の地から眺めた「赤城山」の画像を作成します.赤城山への想いを、にリクエストとともにお送りください.なお群馬を離れ、遠い地方や海外にお住まいの方のリクエストを優先します.赤城山の画像とともにあなたの想いを、このページでご紹介したいと思います.

皆様のご寄稿をお待ちしております!


【 製作者の「こころの赤城山」 】

■ 境町島村地区から臨む赤城山 ■
 私は学生の時分「じでんしゃ」通学していましたので、 いつも赤城颪に送られて(ときには向かって)通学しておりました。よって自宅(境町島村)周辺からみる赤城山の形はくっきりとまぶたに焼き付いており、赤城山は群馬を離れて10年が経とうとしている今でも忘れられない「こころの山」となっています。また高校へはJR 両毛線を使って通学していました。 伊勢崎〜前橋間の車窓から赤城山を眺めているとその形の変貌がよくわかります。 伊勢崎では自宅からみる稜線とほぼ同じですが、前橋が近づくにつれ、主峰黒檜山が後方へ姿を隠します。一方、左端に見えていた鍋割山が手前にせり出してきます。 とはいえ、私にとって一番美 しいのは地元境町からみた赤城山です(誰もがそう思っているでしょうが)。たまに実家に帰ると利根川の堤防から赤城山を眺めます。ここが一番「ふるさと」を感じられる場所です。 【marron@つくば・境】
■ 太田市強戸地区より臨む赤城山 ■
  幼い頃、祖父から聞いたことば「冬、赤城に三角窓が見えれば大風、ふさがれば雨が降る.」古来から東毛に住む人に受け継がれて来た言葉なのであろう. 以来、赤城山をみるといつも「三角窓がみえるかどうか」を見てしまう.雨が降る事を、そびえる故郷の山と雲の配置から、経験測として得ていた先人の観察力には脱帽である.私もいつの日か孫に「三角窓」のことを話せる日が来るだろうか? ■息子が小学校に入った.入学式で歌われた校歌は、残念ながら地元の山も川も詠まれておらず、学校名さえ替えてしまえば、どこの学校の校歌にもなりうるような歌詞だった.将来、何十年の後、故郷を遠く離れてしまったら、その母校の校歌をふと口ずさんでみても「ふるさとの山」の風景が脳裏に浮かんでくるだろうか?故郷の山河を詠った歌詞のない校歌をもつ学校の児童・生徒は、ある意味とても不幸ではないだろうか.【すずき@東毛】


【参考文献】 杉本智彦,『カシミール3D入門』,実業之日本社,2002
このページのCGは「カシミール3D」で作成しました.