「医療人のための群馬弁講座」特講


▲2004年、熱気あふれるスタジアム





■ JFL 2004 ■




夢へのキックオフ (前期 第1〜10節)

狂った歯車 (前期 第11〜15節)

真夏の熱闘 (後期 第1〜6節)

前に進め (後期 第7〜12節)

予期せぬ結末 (後期 第13〜15節)

運命の一日 (12月6日)







■ 2004 特別企画 ■


三束雨@藤岡の ダイジェスト編集後記 (2004)

こっち でみてくんない!







■ 第84回 天皇杯 (2004) ■



日本サッカー史上に残る快進撃!


天皇杯観戦記ページ

「まっと!なっから!ザスパ!!」 は こっち







■ 親善試合 & 練習試合 ■
2004-2005



親善&練習試合観戦記ページ


「うーと!なっから!ザスパ!!」  こっち







■ 2004年をふりかえって ■

 2004年シーズンも終了し、ザスパ草津は悲願であるJリーグ2部へ昇格した。2004年シーズンからサポーターとなった私にとって非常に有意義な一年だった。ザスパ草津を知るまでJFLというカテゴリーを知らなかった。もちろんその下の地域リーグ、県リーグなどまったくもって知らなかった。今となってはもはやしょうがないが、地域リーグ決勝大会での激闘を観る事が出来なかったのは非常に悔やまれる。しかしJリーグへの道のりの最終章を応援できたのは幸運だったのかもしれない。
 このシーズンザスパ草津は大量に選手を入れ替えている。Jリーグ入りへ向け並々ならぬ意欲が伺える補強であった。その中で一番のポイントはやはり山口貴之の加入だろう。ヴィッセル神戸を解雇されフリーとなった山口にJチームからのオファーはあったはずだ。しかし山口はザスパ草津に加入する。スタメン起用、しかもトップ下での起用にこだわりを見せる山口にとってザスパ草津はうってつけであったのであろう。そして山口は期待通りの活躍を見せる。順調に勝ち点を重ねるザスパ草津だったがホリコシとのダービーを境に突如勝てなくなる。ホリコシ戦で何とかドローに持ち込み、太田で初開催のソニー仙台戦でもドロー、そして悪夢の栃木戦・・・。前半を3点リードで折り返しもはや勝ちが見えた残り6分で3点を叩き込まれドロー。普通に負けるよりショッキングなドローだった。そしてこの時の悔しさから「なっから!」が旗揚げされる。本当に偶然が重なって私も「なっから!」に加わるのだからミラクルとしか言いようが無い。あの時のドローが無ければ、「なっから!」の同志の皆様に出会えなかったかもしれないと思うと人生なんて分からないものである。つづくYKK戦はなんとホームで初の負け。そして佐川東京戦も負けで初の2連敗を喫する。この時は本当にどうした事かと思った。この頃になると相手チームからのマークも厳しくなり、研究されている感じであった。山口にボールが渡ると激しくマークし自由にプレーさせない、鳥居塚が高い位置でボールを貰うと同様に激しいプレッシングにさらされた。そしてこの時チーム得点王はリベロの小田島、軸となるストライカーの不在も勝ちきれない大きな要因であっただろう。しかしここで救世主となる大谷圭志を獲得する。トータルバランスに優れたこのMFは瞬く間にスタメンを勝ち取り、中盤に安定をもたらした。大谷が加入したとたんザスパ草津は上昇気流に乗る。地味な存在かもしれないがゲームにおける大谷の存在は非常に大きい。中盤で相手にプレッシャーを与える選手がいるのといないのでは、ディフェンスの安定感が違う。ディフェンダーにしてみれば中盤でプレッシャーを与えて苦し紛れのパスを出させたいのだ。大谷は攻め上がりたい衝動を抑え必死でこの役割を全うしていた。大谷が加入してから佐川大阪に勝利し、前期最終戦を見事白星で終えた。
 さてここでもう一つの課題が浮かび上がる。軸となるFWが不在。事実佐川大阪戦で得点したのは新加入大谷と小田島。調子を上げスタメン起用された堺は結果を残す事が出来ず途中交代している。不安を抱えながら後期第1節、愛媛FCとの天王山。私個人的にこの試合がベストゲームである。後半に2点のビハインドを跳ね返す怒涛の5得点。そして吉本ハットトリック。叩いておかなければならない相手に快勝。そして渇望してやまなかったストライカーの出現。2004シーズンのターニングポイントといっても過言では無い試合だった。その後はこの試合も含めて5連勝。その間吉本は3回のハットトリックを達成。しかし勢いに乗って挑んだホリコシとの2度目のダービーで完膚無きまで叩きのめされる事になるとは・・・。結局ホリコシには1分1敗。いつかリベンジしてやろう。
 その後リーグ戦を破竹の6連勝。王者大塚をも破り2位確定へ後一歩と迫ったが突然のブレーキ。結局大塚戦以降1勝も出来なかった。私個人としては大谷不在が大きかったように思える。前期は大谷の加入で一気に勢いに乗ったが後期は大谷離脱で一気に勢いを失った。中盤でボールを奪えなくなり、結果として良い形で攻撃する場面が減ったように思える。やはりボールを奪えるセンターハーフはモダンサッカーでは不可欠なのだ。しかしそれでは天皇杯での勝利を説明出来ない。大谷不在で挑んだセレッソ大阪戦、横浜Fマリノス戦で見事に金星を挙げている。天皇杯(とりわけJチーム)での戦いはリーグ戦とは異なったアプローチで試合に臨んでいる。全体的に守備の意識が高く、一旦相手の攻撃を受け止めてからカウンターを狙う作戦を一環して行っていた。まるでユーロのギリシャ代表のような戦い方である。高い位置からのプレッシングが皆無に近かった事もあり、大谷の不在をそれほど感じさせなかったのは事実だ。(大谷がいれば重要な役割を担っていたのは間違いないが)リーグ戦で最後の3節、不甲斐無い戦いに終始したのは非常に悔しい思いではあったが、天皇杯の活躍は補って余りあるほど素晴らしかった。マリノス戦で決勝Vゴールを決めた依田の「決めちゃったー!」は後世に残る名台詞だ(笑)
 最後にこのシーズンの私的MVPはさんざん登場した大谷ではなく、山口でも鳥居塚でもなく「寺田武史」を推したい。決め手は前期のホリコシ戦以外天皇杯も含めすべてスタメンで出場。ザスパ草津の左サイドを元Jリーガーではなくザスパ草津でキャリアをスタートさせた寺田が席巻したのは凄い事である。2005年シーズンは更なる飛躍に期待したい。Jリーグ加盟という大目標を達成したザスパ草津。2005年シーズンはいったいどのような戦いが待っているのか?今から非常に楽しみである。 【マシマロ@高崎】




「医療人のための群馬弁講座」は
2004年度、ザスパ草津のアシストカンパニーだったんさ.

この「なっから!ザスパ!!」(2004)は、
オレ、「医療人のための群馬弁講座」管理人「すずき@東毛」の
編集・責任によるザスパ草津応援ページなんさね.
郷土のチームは、やっぱり郷土の言葉で熱く応援するんべぇ!

そんなわけで編集した記事ん中には、独断と偏見が
なっから含まれてっかもしんねぇけど、
十人十色っつーことでカンベンしてくんな.

Special Thanks
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フク@前橋 様
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新泉組 しゅう 様
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ゆう@米子特派員 様
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松任FCサポ14番 様
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「なっから!ザスパ!!」(2004)、同志の皆様(敬称略)
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