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Finally Updated on 2014/07/23

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ブログやってます!こちらです!



ライブドア社主催「第1回 ウィキ文学賞」(2005)で特賞受賞!

初心者のためのWiki編集中です!
あなたも衛星通信を始めませんか?こちらです.



SM7XQZ(JG2GSY) Dr.Yamazaki 特別寄稿

スウェーデンでの50MHz情報、衛星通信情報

2002年の貴重な記録の数々、どうぞご覧下さい!こちらです!

摩訶不思議!?「6mオーロラ伝搬」 

貴重なオーロラ伝搬の様子を音声(MP3)で紹介!
実際の音声を、Web上で公開するのはJA初?

こちらでご覧下さい!

2007年夏、SM7XQZ、再び・・・・!

HB9/SM7XQZ 2007

エキサイトブログにまとめました!
こちらでご覧下さい!


あなたのサイクル24のDX-pedition候補地の選択に!

これまで投票いただいた1999〜2003年からデータを元に分析

入感頻度の高いアジア・オセアニアのみですが
ぜひご高覧ください!

こちらです!


1978年、中学生の頃、当時一大ブームだったBCLから転身し、SWLを始める.JARL準員 JA1-26359となる.最初は、BCLラジオ(東芝TRYX-2000)で7MHzを聞いていたが、中古のRJX601を手に入れ、6mの楽しみを知る.当時は週末にはAMの移動局もたくさん聞こえ、6mは「入門バンド」と呼ばれていた.RJX601から聞こえるSSBのモガモガを頭の中で「解析」し、SWLレポートを出すという特殊技能を身につける.
1980年10月、念願のアマチュア無線局JN1BPMを、群馬県太田市に開局する.しかし、アルバイトをして購入したRJX610+GPという、当時としても貧弱な設備では、サイクル21の片鱗も味わえず、その上、学校の成績も急降下.当時はマジメな高校生だったので、学業に専念しようとQRTしてしまう.千葉県とも未交信だった.
一浪の後、大学入学後も、無線から縁遠かったが、同学部のJO1HQQに洗脳され、1985年12月、6mに復活!以後、6mWACAを目標に、毎週末に群馬県内の山や河川敷に移動運用を繰り返す.この頃は、ログ1冊が、一月かからないで終わるほどアクティブだった.
1988年頃、PK87J+通信機能付きワープロで、いち早くパケット通信にも挑戦する.インターネットの電子メールもない時代、パケット通信は革命的通信方法であった.大いにハマってしまう.南関東のRBBSにあるPDS(死語)をダウンロードするために赤城山まで、HQQと遠征したこともあったなぁ.
1988年9月、岩手県花巻市(JS1USY/7)との交信で6mWACA(全市交信)達成.これで安心して医道に精進するつもりであったが、「WACAっちゃいるのにやめられず」、おりしのサイクル22のコンディション上昇に便乗し、今度は6mDXに熱中してしまう.移動運用の無理がたたったのか、腰椎椎間板ヘルニアで一月入院も経験.なんとか低空飛行で大学を卒業する.
1989年9月、ARRLの6mVUCC (#368) 受賞.
1990年4月、大学の卒業記念に、念願のJD1小笠原父島からJN1BPM/JD1を運用.6mにて8カントリーWkd.29時間の航海の船酔いはつらかった.VK2QFから頂いた、オーストラリアでのJN1BPM/JD1入感の様子はこちら.(再生にはReal Player要.)
同、4月、ZS8MIとのQSO6mWAC(世界6大陸交信)達成.6月に幸運にも医師国家試験にパスしてしまったので、研修医として、不埒な心を入れ替え、今度こそ医道に精進しようと誓う.折りしのサイクル22のピークと重なるという不運から、ロングパスで入感した局など数々のDXを逃す.このとき無線ができていたら、DXCCも楽に完成していただろうに・・・研修医は毎日忙しく、週末の実家(太田)に帰っての無線が憩いのひととき.
1991年、独自の調査でまとめた「6m WACA/WAGA Holders' List」を、パケット全国転送系ネット(RLI/MBL系)に月一度upを始める.93年頃まで続けていた.これを発展させたWeb版では、6mの資料に役立つよう最終5市郡も掲載するようにした.現在の最新版はこちら
1992年7月、岩手県二戸郡(JH7XRZ/7)との交信で6mWAGA(全郡交信)達成.念願の6mでの全国市郡の交信達成で、一気に虚脱状態.
大学院に進学し、医師との掛け持ちで、さらにめちゃくちゃ多忙.なのに新しもの好きの性格ゆえ、パケット通信に加え、RTTY,SSTVと新しいジャンルにも手を出し、以来、国内外と細々QSO.太陽活動の低下にともない1200MHzでTCP/IPのパケット通信(寺子屋)に熱中.
1994年4月、1200MHzF1交信記録が未申請なことに目をつけ、交信を行い、記録認定を申請し、JARLからまんまと?日本記録(当時)認定証をせしめる.
この後、公私ともに多忙を極め、結婚もし、2ndにも恵まれ、ますますアクティビティ低下.この数年間で、ログは数ページしか進んでいない.それでも6m一筋に、いろいろなモードで、少しづつではあるがQSOを重ねた.
1998年4月、JN1BPM's Home Page!開設!サイクル23へテンションも上昇!
サイクル23では、6mDXCC完成を目標としていたが、「聞いているときにはバンドが死に、聞いてないときには珍局入感」という、悪循環に見舞われる.気合は空回りし、なかなかエンティティーは増えず、閉塞状況に陥っていった.
6mDXの苦渋から、精神衛生上の平安?を求め、家族とのマッチングを取る意味でも「予め開く時間がわかるサテライトに興味を持つ.AO-40の打ち上げにも感化され、アマチュアサテライトへの挑戦を決意.2000年12月、まずはFM衛星に挑戦し、SO-35で交信に成功.続いてUO-14,AO-27にも挑戦.21世紀最初の交信もUO-14での交信であった.おおいにハマってしまう.
2001年秋、6mの悪循環を打破すべく、起死回生の沖縄遠征を計画し、宿の予約まで取ったその数日後、あの同時多発テロ事件発生!情勢を鑑み沖縄遠征を泣く泣く断念.続くヨーロッパのショートパスという千載一遇のチャンスも仕事で逃す!・・・もはやこれまでかと思ったが、晩秋の北南米のオープンで奇跡的に4エンティティup!
2002年1月1日夕方、まさかの新春ショートパスUR6IMとQSO.なんとか悲願!6m 100エンティティ Wkdを達成!無線の女神(と勝手に決めた)は微笑みは粋だった!これで一気に虚脱状態&祝杯で泥酔.
2001年暮、スウェーデン留学中のSM7XQZ(esJG2GSY)山崎先生と、医学部学生時代より十数年ぶりにネット上で再会.先生がご寄稿くださったスウェーデンでの運用記他を、2002年1月より当HPのこちらで紹介することになった.
2002年5月、ついにAO-40のmodeUSで、JF6BCC/JD1と初交信.奮闘記はこちら.7月、スウェーデンのSM7XQZ山崎先生と、AO-40で感動の再会を果たす.その奮闘記はこちら
2003年9月23日、南米ベネズエラのYV1DIGとのAO-40での交信で、Satellite WAC完成!
2004年1月26日深夜、IZ2CPSとの交信中にAO-40の突然の機能停止に遭遇.サイクル24までサテライトに傾注するつもりだったのに・・・・・2月にARRLのSatellite VUCC (#134)受賞.
2004年9月12日深夜、国際宇宙ステーション(ISS)搭乗の宇宙飛行士の運用するNA1SSと437/145MHzFMでクロスバンドQSO!
2005年4月22日、運営していたBLOGより、無線関連の記事を別BLOGにし、JN1BPM's BLOG!を開始!
2005年6月11日、2mFMでBG4XCNとQSO!6月26日深夜、国際宇宙ステーション(ISS)搭乗の宇宙飛行士の運用するRS0ISSと2mFMでQSO!12月にも深夜3時にISSのクロスバンドレピータでCQを出したら、RS0ISSから呼ばれるという幸運にも遭遇.
2005年12月、編集している「アマチュア衛星通信初心者のためのWiki」が、ライブドア社主催「第1回 ウィキ文学賞」で特賞受賞!
2007年、APRSを初めて悪戦苦闘・・・
2009年、JA1GZKと5GHzで初のQSOを果たす

現在、目標を逸し迷走中・・・・次の目標は??


私は6mが大好きです!今後もコツコツと1エンティティ、1グリッドの上積みを、いろいろなモードへの挑戦を、あせらずマイペースで「ライフワーク」として楽しんでいきたいと思っています.またサテライト通信にも力を入れております.諸兄のご指導をよろしくお願いします.将来はぜひ海外から6m&サテライト運用をしてみたいと思っています.

第2級アマチュア無線技士、第1級陸上特殊無線技士、JARL終身会員

現職;医師

みなさん、どうぞよろしく!


6m WAC (1990)
6m VUCC (1989)
6m WACA (1988)
6m WAGA (1992)
Satellite WAC (2003)
Satellite VUCC (2004)

6m DXCC申請しようかな・・・!?アメリカにQSLを送るのが怖い・・・



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